赤穂浪士と笠間藩の笠間稲荷
平成27年4月15日訂正版
飯沼孝行
赤穂浪士の主君であった浅野内匠頭長矩殿の祖先は、徳川家康公の養女と縁組されていますので、徳川家の親戚筋に当たると言う事実があります。
浅野家の遠祖である浅野長政殿は豊臣秀吉公の奥州仕置きで、下総相馬の守谷に滞在し、相馬家を改易させたと言う経緯があります。
幕藩体制初期、守谷藩は土岐家を大名として存在しましたが、その後代官支配の天領となっているので、守谷藩に殿様は存在しませんでした。
現在でも守谷に、守谷藩としての殿様の家系は存在しません。
相馬氏とは平将門公、もしくは桓武平氏の千葉氏の流れを汲む、千葉(相馬)師常公に遡るとされています。
その平将門公とすると、その息子である将国公(相馬小次郎将国、又は信太小太郎)が、現在の茨城県土浦近くの桜川にある信太郡に落ち延び、そこで信太小太郎を名乗りました。
そしてその信太の土地は清和源氏である土岐家の知行地であります。明智光秀公は伊勢平氏の織田信長公に反逆しました。その信長公の遠祖こそ平貞盛公であり、その方と平将門公が争った訳です。
つまり織田家と明智家の因縁の元は、平氏と源氏の争いの原因もありますが、武士の台頭の原因ともなった平将門公と貞盛公の戦いに起因する訳です。
菅原道真公が新皇の位を授けたのは平将門公です。ただ、その「しんのう」と言う発音は、通常考えられるのは、皇族の男子に与えられる敬称の『親王』と言う漢字だと思います。平将国公と同一視されているのが安倍晴明公です。その晴明公は稲荷神と同一視されます。伊勢神宮を創建された11代目垂仁天皇陛下の陵は、菅原伏見陵です。菅原と伏見宮家。下総水海道にあった飯沼の畔に創建された大生郷天満宮は、日本で唯一道真公の家族の三郎天神ともされる、道真公の三男である景行公によって祀られた場所です。
然も垂仁天皇陛下の息子こそ景行天皇陛下であります。道真公の三男の景行公と菅原の伏見に葬られた垂仁天皇陛下の息子も、同じ字を書く景行天皇陛下と申されます。
その景行天皇陛下の双子の一人こそ日本武尊なのです。その方が名付け親とされているのが、平将門公が城を築き、信仰の中心地とされた下総相馬御厨の守谷なのです。
そして赤穂浪士とすると、その浅野家が赤穂に国替えされる前に治めていたのは常陸の笠間であり、その笠間には笠間稲荷があります。
赤穂には大辟神社があり、その名前の字義は、死刑と言う意味があります。そしてその播州赤穂は、秦河勝公の土地であり聖徳太子の地盤でもありました。
秦始皇帝のバックに居た呂不韋と言う方は、始皇帝の実父とされる場合があります。
聖徳太子の父である用明天皇陛下とその妻である穴穂部間人皇后。もしかすると秦河勝公こそが、渡来系としてユダヤの血筋としての外人のような容貌をしていた聖徳太子の実父かもしれません。嘗ての呂不韋は、自分の息子に殺されてしまった。
秦氏は新羅系とされますが、天皇家は百済との親交がありました。つまりは新羅による百済王家とも関係ある百済日本王朝家の乗っ取りが仕組まれていたのでしょう。新羅の弥勒信仰。マイトレーヤ。然も花郎(ファラン)と言う新羅の貴族、子弟の階級もありました。源氏の三兄弟、八幡太郎義家公、賀茂次郎義綱公、新羅三郎義光公。源氏の三男こそ新羅三郎なのです。
新羅側の皇子であった事が露見した後、聖徳太子は暗殺されてしまった。それが播州赤穂の死刑神社である大辟神社、つまりダビデ神社だったのでしょう。
源氏とは新羅系統だと言う説があります。赤穂浪士の主君である浅野家も清和源氏です。
しかし吉良家と言うのも、清和源氏足利流と言う事であり、栃木県に日光東照宮を造営させた徳川家康公が松平から徳川へ移行していますので、道義的には権力者である徳川家は、吉良家を庇わなければならなかった。体制側として持ち上がっている方は、恐らく吉良上野介義央公の方だと思います。
その因縁は土佐でも起きていて、土岐明智家の家系である坂本龍馬さんがおられ、その土佐山内家と言うのは山内上杉家であり、その上杉家に養子を出しているのが吉良義央公の方なのです。
浅野は最初尾張に住んでおり吉良は三河でありました。徳川家としては三河出身の吉良の方に付いたのであります。
そしてその後世、播州の赤穂の塩と、三河吉良の塩との塩の製造・販売での商売戦争だったと言う内情があったのでしょう。
補考)
土岐を修辞法で『朱鷺』とすると、英語で『ibis』となります。これはいびす、恵比寿にも通じ、伊弉諾尊と伊弉冉尊の初子である蛭子ともなります。
骨が無いと言う事は、大黒柱が無いと言う事で、昼寝をしてしまうと、一日の大黒柱が立たないと言う事で、一日の精神的な防御が効かなくなり、テレパシーで煩くなると言う事でしょう。だから少なくとも午前中は起きている。寝坊はいけない。巳の刻と言うのは、午前10時。蛇の時間こそ午前10時頃なのです。
煩いと言う事は、五月蠅い。五月の蠅と言う事で、ベルゼバブと言う事にもなるかもしれません。
五月の王とは、金牛宮。タウラス。その発音でのトーラスとは垂線の周囲を巡るドーナツ型のチューブ状の輪です。
トーラスとは正午まで起きていて、日中起きている事で輪環体トーラスを作る。正午までは起きていて、夜12時以降に寝る事で円を作り、輪環体=トーラスを作る事で全地の王となる。
牡牛座のモデルである、牛に姿を変えたゼウスが誘拐したのはエウロペです。ヨーロッパの語源、嘗てフランスまで押し寄せたアンゴルモアの大王とは、モンゴルの軍隊です。
蠅が集る大便が道に撒かれていた中世のヨーロッパ。だからペスト等の伝染病が蔓延した事があった訳です。
嘗てのローマはその上下水対策としてのインフラ整備が行われていました。しかしその地下で鼠が繁殖し、病原菌のキャリアとなっていた。その鼠を追い出す為にあったかどうは分かりませんが、ローマの大火があり、それがキリスト教徒の信者のせいにされました。
塩での殺菌。塩素とフッ素での塩化フッ素はフロンガスです。オゾン層を破壊すると言う事は、紫外線で殺菌出来ると言う事。そのフッ素を含む石こそフローライト、つまり蛍石であります。恐らくそれこそ光り輝く石と言うゾハル。清浄なる空間を作る為の蛍石。
素戔嗚尊が持っている草薙剣を9が3個として、999とすると、元素番号9のフッ素で、父なる神のゲマトリアになります。塩素とフッ素で塩化フッ素による局所的なオゾンホールが出来ると、そこに宇宙からの宇宙光線が降り注ぎ、そこの窒素が炭素14に変化する。紫外線での殺菌。
そして太陽神の声を聴く為に塩を使う。
コイケヤのポテトチップスは赤穂の塩を使っています。良い塩を使わないと聞く声まで違って来る。その塩が取れる土地での塩田法で太陽の声が降りて来るのでしょう。
その赤穂の浅野か、三河の吉良の塩田を持つ吉良か。
どちらを重んじるかによって、徳川が太陽神の天皇家と同調するかが決まって来ると思います。天皇家がどちらの塩を用いられるか。お祓いの為の清めのお塩です。ですから自分の家で使う塩、食事の調味料に使う塩と、家の外に撒き、神棚に上げる塩を何処の塩にするかで、何処と同調するかも決まってくると思います。
天皇家がどちらに正義があると思われたか。
赤穂の塩か、吉良の塩か。
そういう戦いにもなっていたのではないでしょうか。
岩塩だと孫悟空のように、岩石の中に魂が閉じ込められる。石に魂が宿ると言う事にもなります。無機質と言う事で無感情になる可能性もあります。
アドルフ・ヒトラーが、アメリカへ逃亡し、そこで不老不死体の細胞に乗っ取られ、肉塊として生存している説を学研で飛鳥昭雄氏が提唱しています。
ヒトラーの細胞に取り入れられていたザルツブルクの岩塩が、細胞のナトリウムポンプにとって、菜食主義だったクロノス(ゼウスの父親)が、ゼウスに岩を食べさせられ、ハデスとポセイドンを吐き出した神話と、菜食主義だったヒトラーの細胞を戻そうとする時、彼に注入する食塩水(塩分濃度が3.5パーセント程に、ザルツブルクの岩塩を使った時、海としてのナトリウム(塩=塩化ナトリウムを吐き出し、カリウムを吸収する。そのカリウムが土(塩化カリウム)としての岩塩、カリウム岩塩を使用する事で、細胞液の濃度が一定し、細胞新生の時間軸が一定に戻るかもしれません。